kemioについて語ろうと思ったらレンタルなんもしない人について考えてた。

レンタルなんもしない人の本を買った。

 

 

気持ち的にしんどいことがあって、どうにか気持ちを紛らわせたくてkemioの本を買おうと思った。我らがけみお君ならきっと私をあげみざわにしてくれるだろうと。

まぁ買ったんだけど、同じコーナーに並んでたレンタルなんもしない人さんの本と目があっちゃったんだ。Twitterで話題になってるくらいしか知らなかったけど、ちょっと気になってけみおと道連れにした。

 

軽い気持ちで買ったけど、結構おもしろくて、結局本命のけみおの本より読み進めてる。あ、いやけみおの本も読んでるしベッドの横に置いてるしウチらは永遠に共に人生をランウェイじゃん?だからね?

 

話は戻って、『なんもしない』ということがこれほど需要がある今の日本(世界)がおもしろい。本の内容は今までどんな人がどんな理由でレンタルしたかってことを紹介してるんだけど、そこから人の感情とか、生きづらさとかを紐解いて行く感じがオラオラ系ビジネス書をばっかり読んでる私には押し付けがましくなく、スッと入ってきた。

 

レンタルした人のなかで、話し相手がほしいとかは想像の範疇だったけど「作業をサボらないために一緒にいてほしい」とか「マラソンでゴールの前に立って待っていてほしい」というレンタルの形は意外でおもしろかった。

 

レンタルさんは別になんもしないので作業をサボってることに関して口出しはしない。お願いした人もそれを承知のうえだ。でも「ただそこにいる」というだけで集中しないと、という気持ちになるのはなんだかわかる。マラソンのゴール前で待つというのも、しんどい・諦めようかなと思いかけたとき「あ、でもレンタルさんがいるじゃん」という小さなきっかけで足を前に踏み出せるんだろう。

 

自分もジム通いをしているけど、どうしても仕事帰りに行く気になれないときがある。そんな時に無駄に隣の席の人(Aさん)に「今日、ジム行きます。Aさんに誓って行きます」となぜか宣言する。別にAさんもふーん、そうですか、ってめちゃくちゃ冷たいし守れなかったとしてもなんのお咎めもないんだけど。実際この宣言のおかげ?でジムに行けたし、「今日は有酸素運動もやります!」ってついでに宣言した手前、サボりそうになったけど「いや、でも宣言したし。明日堂々と報告したい!」とその小さな動機がモチベーションになった。

 

普通に健康な人間なんてほんとは自分の中で解決・行動できるんだけど、やることが腐るほどあって選ぶだけでも疲れちゃうこのご時世なら、レンタルさんが言い表した「触媒」という存在は日常のなかでちょっと必要とされてるのかもしれない。